戸隠高原とアマテラス

早朝6:00、野尻湖へドライブに連れて行ってもらいましたが、そのあと、30キロ離れた戸隠まで足を伸ばそうということになりました。
そこで思いがけない事実に出会いました。僕の中で戸隠と言えば、戸隠高原だったのですが、多くの人がここを訪れるのは、戸隠神社の参拝が目的らしいのです。若い人もパワースポットということでよく訪れるようです。そればかりか、この戸隠神社、天武天皇が7世紀半ばに、じきじき人を遣わし仮社をつくらせ創建に至ったと言います。天武天皇が直接関わったとなると、アマテラスが思い浮かびます。
ピンポーン、正解でした。戸隠の「戸」というのは、天の岩戸の「戸」だったのです。天の岩戸が、この地まで飛んできて創建されたと言います。
数あるアマテラスを祀る神社のなかで、日本で最も高い地に祀られたアマテラスの神社になるということです。
長野に着いた当初から、アマテラスが気になって仕方なかった理由がわかったような気がしました。...
車の中で、1、2、3で、アマテラスに向け、同乗者にわからないよう瞑想しました。
不思議と苦しい思いは出ず、アマテラスと共に、アマテラスと共に、その思いが繰り返し繰り返し、打ち寄せる波のように押し寄せてきました。
今、とてつもなく嬉しいです。
| 出張紀行 | 18:44 | comments(0) | trackbacks(0) |

イルカの「ももちゃん」「ゆずちゃん」と再会

イルカの「ももちゃん」「ゆずちゃん」と再会してきました。
二人の水中でのしっかり録音されています。
ユーチューブにアップしていますので、ぜひ、ご覧ください。
https://youtu.be/m9KyZWc4gEw
| 出張紀行 | 08:45 | comments(0) | trackbacks(0) |

東京出張からの帰路に地震

 今、帰りの新幹線の中でこのブログを書いている。
今日は、東京出張の最終日、岡田さんと共に吉祥寺のジュンク堂書店を訪問した。吉祥寺店については、こちらが営業したのでなく、新オープンとともに地方小が自動的に配本してくれた店舗だが、その後、岡田さんもフォローしてくださり、UTAブックの本もなかなか地道な動きを見せている。そんな訳で、今回の東京出張では出来れば覗いてみたい書店だった。
ところで吉祥寺というのはどういうところだろう。そう思って今朝、ウィキィペディア(web上の百科事典のようなもの)を調べてみた。細かなところは省くが、もともと吉祥寺というのは、江戸城城下にあった吉祥寺という寺の門前町のようなところだった。それが明暦の大火、俗に言う振り袖火事の際に消失してしまったという。幕府は、元吉祥寺住民に今の武蔵野の地に新田開拓を認め、その地が新たに吉祥寺と呼ばれるようになったと言う。ウィキィペディアには「吉祥寺」といっても、そんな寺は存在しないと記してあった。それを僕が読み違えをし、寺の無い町だと思ってしまった。到着するなり、ジュンク堂書店の入るビルの前に「月窓寺」という墓地と寺を見つけたものだから、早とちりで「ウィキィペディアは間違ったことを書いている」と思ったものだ。しかし、実際は、「吉祥寺に吉祥寺という寺はない」と書いてあったのだ。
まあ、そんな話はどうでも良いのだが、無事、ジュンク堂に到着し、担当者とも挨拶が出来た。UTAブックも3点「意識の流れ」「その人、田池留吉」「あなた、このまま死んで……」は並べていただいている。5冊入れさせていただいた「続意識の流れ」は売れてしまっているようだ。

ここまで書いたところで、14時50分、新幹線がいきなり停車し、東北地方で強い地震が起こり東京から静岡にかけて広い範囲で停電しているというニュースが入った。東北地方で震度6以上の地震だという。新幹線も2時間以上運行を停止する。その後も強い余震が続いているというアナウンスあり。冷房も止まり、トイレも使えない状態となった。


(停止した新幹線の車窓から車外を撮影する)

15時27分、東京から三島へは電気が送れるというアナウンスが入る。線路の点検等、運行再開まではまだしばらく時間がかかるとのことだ。

15時43分、車内に電気が戻る。電気の送電のみ再開した旨アナウンスが入る。

15時49分、電気は再開したが、安全確認のため線路の点検(地上巡回)に2時間ぐらいかかるとのアナウンス。


(停止した新幹線車内 携帯で連絡を取ったり、情報をチェックしたりする動きはあるもののあわてた様子は見られない。意外と整然としている。冷房も戻り、子供たちの楽しげな声も聞こえる)

「宮城県沖マグニチュード
7.9以上の地震」とのアナウンスと、安全確認のため地上巡回のため運行が遅れるとの再度の連絡が車内に流れる。

16時15分、何も進展なし。
16時17分 アナウンス/東京〜小田原間、線路の安全確認をしている。安全確認が出来次第運行を再開するが、相当時間がかかる見込み。

しばらくは動きそうもないので、ジュンク堂吉祥寺店で買った「Facebook 世界を征するソーシャルプラットフォーム」を読む。著者の山脇伸介さんは岡田さんの知り合いとのこと。わかりやすい内容でよく売れているというので、この本でフェースブックの勉強をしてみようという寸法だ。ノートパソコンの電源も残りわずか、運行再開まではもたないだろう。

(これ以降の記事は、帰宅後に書いています。)
17時25分、運転が再開される。ともかく静岡まで徐行運転しますとのアナウンス。
17時40分頃、このまま運行を続け名古屋まで行くとのこと。しばらくして、この電車の後にも先にも運行しているのはこの一台ですから、各駅で待機している乗客救済のため、名古屋以降、新大阪まで各駅に止まって運行しますとのアナウンスが流れる。2時間50分遅れの運行だという。

名古屋で、ガラガラだった車内(上の写真)がラッシュ並の混雑となる。混雑した車内も写真に撮りたかったのだが、みんな気が立っているようで、とてもカメラなど構えられる雰囲気ではなかった。

その後、新幹線は、岐阜羽島、米原、京都と各駅に停車し、20時をすぎた頃、新大阪へと到着した。

当初、今日も一日回る予定だったのだが、虫の知らせだろうか、岡田さんとも相談し、今日は午前中で終わろうということになった。1台遅れていれば、東京に足止めということになっていただろう。

| 出張紀行 | 15:23 | comments(0) | trackbacks(0) |

東京営業2日目/おのぼりさんの目



岡田さんと今日の待ち合わせ場所は、地下鉄・竹橋駅。宿泊しているビジネスホテルからは20分で行ける場所。念のためとホテルを早く出たが、待ち合わせ時間よりも20分も前に着いてしまった。 竹橋駅のB3出口を地上へあがってみると、そこは大手前政府刊行物サービスセンターの前。
「ここなら仕事で来たことがある」と、急に身近な場所に思えたが、そのセンターの向かい側、皇居の水堀傍に威圧的な銅像が人目を引いている。
大手前の政府刊行物センターは仕事で何度か来たはずなのに、こんな銅像があることにはまるで気付かなかった。それにしても、この像、一体、誰のものなのだろうか。
待ち合わせ時間にはまだ少しあるので、ともかく傍まで行ってみることにした。折から水堀を清掃しているのだろう、一台のボートが近づいてきた。見ていると、お堀のゴミやら藻を網ですくって回っている。この場所では、ごく当たり前の風景なのだろうが、旅行者の目には珍しい出来事に出会ったような新鮮な驚きがある。要は、おのぼりさんの目になっているのだろう。
仕事で来ているときは見えなかったものが、おのぼりさんの目になったとき、見えてくるモノがある。
この銅像もそうだ。自分が、おのぼりさんになってみて初めて見えてきたのかもしれない。ところで、この銅像、誰のものかというと、なんと和気清麻呂のものだった。これも驚きだ。
何が驚きなのか、これは「営業日誌」なので、詳しいことは省くが、昔、道鏡という悪僧がいた。少なくとも歴史上の常識では、日本国にとっては大悪人として扱われている。女帝・称徳天皇 ( 孝謙天皇 )に取り入り自ら天皇になろうとした人物だ。いくら野心家でも、「自分が天皇やりまーす」ってなれるものでもないし、いくら称徳天皇が気に入っているからと言って「彼を次の天皇にしようと思うの」ということもありえない。
そこで出てくるのが宇佐八幡宮の御神託というわけ。恐れ多くも宇佐八幡宮の御神託が「道鏡を天皇に据えれば、世の中、うまく治まるぞ」と言っている。すわ一大事と、この和気清麻呂が北九州の宇佐八幡宮へ駆けつけ、神託が本当かどうか確かめに行く。結果、「あんなのは嘘っぱちだ。天皇家の血筋をひかないものを天皇にすえれば、世の乱れのもとになる」と、道鏡の陰謀をうち砕いた。このため、清麻呂は国家の英雄として賞賛されるようになったわけだ。そんなわけで、今も皇居のお堀端に立って、天皇を守っているというわけだ。
この話のポイントはなんだろうろう。道鏡でも、和気清麻呂でもない。宇佐八幡宮の御神託だ。次の天皇を決めるのに、伊勢神宮ではなく、遠い北九州の宇佐八幡宮の御神託が影響力を持っているのだ。中央政権が、地方の神様の言葉に支配されている。天皇家にとって、北九州とは何だったのだろう。宇佐八幡宮とは何だったのだろうろう。
そんなことを考えているうちに約束の時間が来てしまった。そろそろ、おのぼりさんモードから仕事モードへ切り替えなければならない。

今日最初の大きなテーマが、書籍の電子化。この大きなテーマについて、岡田さんのご友人で、株式会社クリエイジを創設されたN社長のお話を聞かせてもらおうというわけだ。
ではまず、Nさんとはどういう人なのか。同社ホームページによると、Nさんは1948年、倉敷は児島の生まれだという。僕とは同い年だ。団塊世代の同志ということになる。これでぐっと身近な存在となった。
1971年、慶應義塾大学工学部管理工学科を卒業した後、野村総合研究所に入社し、1973年にはスタンフォード大学院でオペレーションリサーチ学科の修士課程を修了されている。1982年には、野村総合研究所経営戦略コンサルティング室室長となり、以後、野村総研の重職をを経て1993年には、郵政省・郵政研究所 第三経営経済研究部長を兼任され、2004年、株式会社クリエイジを創設された。すごいエリートだ。身近になったと思った存在が急に遠いものになっていった。
それはさておき、クリエイジという会社がどんな会社かというと、ビジネス書のネット書店ということになる。ただネットで本を売るだけでなく、「創造的で迅速な意思決定をすることを支援するための仕組みとコンテンツを、総合的、簡便、安価に提供し、社会経済の発展に寄与する」ことを事業目的としている。
何にしても、ネットというシステムを利用し本を販売している、いわば同業者だ。これでまた少し身近な存在となった。しかもNさんは、経営コンサルティングのプロであり、情報処理能力に優れ、情勢判断と、それにどう対処していくかのノウハウも持っておられる。

お互いの自己紹介を済ませた後、今日の課題に入る。本の電子化にどう対処するか?
まずNさんが、業界の現状についてレクチャーしてくれる。
書店の大型化と、小規模店舗の撤退。この傾向は、本の電子化に伴いますます顕著になっていくという見通し。これは身にしみて分かる。そしていずれは、電子図書と紙の本の比率が半々になるだろう……これも分かる。だが、その時期については、Nさんは「そのころは私たちはいないかもしれませんが」と言われた。これについては異論がある。僕は、そうなるのは、そんな遠い先のことではないと思っている。
ただ電子化の波は止められない、これは間違いのないことだろう。
ところでお話を聞いているうちに分かったことがある。今、本の電子化の問題といっているが、実はそれは、電子化だけの問題ではなく、紙の本の問題でもあるということだ。
「本」をどうしたら、潜在的に、その本を求める未知の読者に届けることができるのかということだ。本の存在を知らしめる方法ということになる。少部数の出版活動では、書店に配本するというのは「木」を「森」に隠すようなものだ。はっきり言ってUTAブックは、書店でhな主役になりえない。そこで営業活動が必要になってくる。どこの書店にでもなく、限られた書店に多く配本し、書店の主役は無理でも、コーナーの棚で準主役になれるよう、UTA読者の協力で営業活動を行う。これが今の状況だ。しかし、これには限界がある。そこで電子図書への移行が、これから進んでくるわけだが、そこではどんなことが起こってくるのか。だれでも安価に本が出版されるようになるという現実。今まで著名人や有名出版社しか日の目を見なかった本の業界で、無名の人の書いたものも、有名人の書いたものも同列に電子図書の販売サイトに並んでくるという現実。
そうなったとき、無数の本の中からUTAブックを見つけてもらうにはどうしらいいのか。UTA読者は「検索」すれば出来るのだから、ここで言っているのは、そんな固定購読者層のことを言っているのでなく、潜在的にこの本を欲している未知の読者が、どうすれば、UTAブックにたどり着けるのかを言っている。この問題は、紙の本の問題でもある訳だが、電子図書になった場合、市場で公平に扱われる反面、更に大きな問題となってくるという寸法だ。
問題の本質が見えてきた。「潜在的な読者に、どうすれば本の存在を知ってもらえるか」ということだ。これができなければ、いくら電子図書を生み出しても、ネットという宇宙の中をさまよい続ける塵になってしまう。
そこで出てくるのが、地味ではあるがNさんが取り組んでおられる「WEBマガジン」とか「メールマガジン」いわゆるメルマガという存在。 氏が、「継続は力なり」と言われるように、地味でもこういったメルマガを発行し続け、本の存在をアピールし続けていくこと。そしてブログや、ツィッター等々、狭い範囲でのコメンテーターを育てていくこと。いろんな人がいろんな立場で、ブログやツィッターという媒体使い発言していく。ホームページを立ち上げるのは大変だが、ブログやツィッターなら、わりと手軽にできる。手軽な媒体をつかっての情報伝達、これからは、こういった動きが大きな力となっていくだろう。地方で書店回りの営業をてつだってもらうのも、もちろん、大きな力なのだが、それ以上にミニメディアをつかっての情報発信、これこそが来るべき電子化の大きな力となるような気がする。
そしてもう一つ、岡田氏の言う「フェースブック」の利用。これについては、僕も未知の領域だが、これからの課題として勉強してみようと思う。

以上が、株式会社クリエイジのN社長や岡田さんとのフリートークで、僕が感じたことだ。あくまで僕が感じたことで、クリエイジさんの出した結論ではない。無論、この問題に今すぐ出させる結論など無いのだが……。

最後に大阪屋との新規取引の問題が残ったが、動き出す時間が来たし、上記の問題とも無関係ではないので、東京出張から帰ったら、あらためて報告することにしたい。
まずは、「お時間もよろしいようで……」
| 出張紀行 | 08:32 | comments(0) | trackbacks(0) |

東京営業1日目

2011年3月9日
昨夜、難波を22時10分に出発する夜行バスに乗り込み東京へ向かった。岡田さんとの待ち合わせは午後3時半。東京駅へは早朝7時半に到着している。
実は個人的な取材活動のため、時間をつくりだしたいとの思いから、早朝から動ける夜行バスでの移動を選択した。今、日本の起源、天皇の起源に、興味以上のものを持っており、 なんとか時間をやりくりしては走り回っている。今回行きたかったのは、三越百貨店、浅草の三囲神社、牛嶋神社……三越百貨店は別としても、心の学びをしている人間としては、できれば避けたいような場所ではある。しかし、日本という国を探っていくのに神社を抜きには何も調べ出すことは出来ない。
とはいえ、これはあくまでも個人的な活動。そのほうは、いずれ個人的なブログに書くとして、営業日誌にかかろう。

3時半、紀伊國屋書店新宿本店で岡田さんと待ち合わせる。まずはUTAブックの並んでいるコーナーへ行く。新刊「続意識の流れ 改訂版」は平積み。UTAブックは各1冊が整然と並べられている。気になるのは、コーナーが窓際にあり、平台に背中を出すように並べられた本が外光にさらされ、背表紙の部分が日焼けして白っぽくなっている。近いうちに入れ替えするようお願いしてみよう。
まずは岡田さんと二人、担当者の方に挨拶をすませ、今日の目的、地方・小出版流通センターに向かう。
特にこれといった用事はないが、担当者への挨拶と、地方・小出版の川上社長に岡田さんを紹介しておこうというわけ。
地方・小出版の川上社長とは、エルランティの光出版が発足した当時からの付き合いだ。会社は小さいながらも、「地方小の川上」といえば本の業界では結構な名物男。山陰の雄、「今井書店」が主催する「本の学校」では、取次業者、出版社、書店をリードしていく立場にある。
「本の学校」というのは、毎年、山陰は大山の山中で、全国の出版社、取次業者、書店人が集まり、今、本の業界が直面している問題を、様々なテーマにわけ、それぞれのブロックで学んだりディスカッションしたり、解決法を探っていこうというもの。盛時は一週間ぶっ続けで行われたものだが、今では「出版業界人研修・書店人教育講座」と形を変え2泊3日の日程で、今も続けられている。
僕も「本の学校」と言われた時分、一度、参加したことがあるのだが、今、本の業界は大変な変革期を迎えており、僕も今年は時間を作り参加してみたいと思っている。
(閑話休題)
地方・小を後にして、渋谷へ向かう。MARUZEN&ジュンク堂渋谷店に顔を出すため。うまくいけば仙台店から、渋谷店に異動となったN店長とお会いすることが出来るだろう。仙台店当時は、僕も二度お会いしただけなのだが、非常によくしていただき、忘れがたい方だ。
棚へ行くと、おりよく担当の方と出くわした。日頃のお礼を言い、最後に「仙台店におられる頃はよくしていただいたので……」と、N店長に挨拶したい旨を話した。
生憎、今日明日は、店長会議で留守をしているとのことで、お会いすることは出来なかった。
この後、食事をしながら岡田さんと営業のことやら、電子出版のこと、これからの業界のこと等を話し合い、夜8時半、お開きとなった。

あけて今日は、東京へ来た一番の目的「大阪屋との新規取引」の打診、それに岡田さんのご友人で出版流通で独自の活動をしておられる某社長と面談し、いろいろ勉強させてもらう。その合間を縫って池袋のジュンクさんや旭屋さんに顔を出そうと思っている。間もなくホテルを出発する時間となる。
余談ながら、今泊まっている小伝馬町のビジネスホテル近辺からは、東京スカイ・ツリーがよく見える。3月はじめの段階で、609メートルに達したという。

| 出張紀行 | 07:22 | comments(0) | trackbacks(0) |

明日から東京出張

明日午後から3月11日まで東京出張のため留守にします。
この間、注文等の出荷は出来ませんので、あしからずご了解ください。

東京での予定ですが、今回は取次さんや、出版関係者との接触が主で、東京へ行きながら岡田さん以外は、学びの仲間の人たちとはお会いできないと思います。
「東京へ行ったら寄るね」などと口走りながら、風呂屋の釜よろしく「湯〜ばっかり」ではありますが、これまた、悪しからずご了解ください。

東京での予定ですが、明日午後からは移動だけ。明後日から動き出すことになります。
決まっているのは、3/9(火)新宿にある地方・小出版流通センターを岡田さんと共に訪問します。3/10(水)は、岡田さんの友人の方で、現在出版流通のお仕事をされている方を訪問し、その後、取次の大阪屋を訪問します。新規取引の開始を打診するためです。
3/11(木)は、東京の主な書店回り、特に渋谷のMARUZENN&ジュンク堂、吉祥寺のジュンク堂はぜひ行きたいと思っていますが、流れでどうなるか分かりません。

3日間とも、岡田さんと行動を共にしますが、いろいろ出版のこと、流通のこと、電子出版のこと、盛りだくさんに勉強させてもらえそうで、ワクワクしております。
| 出張紀行 | 15:29 | comments(0) | trackbacks(0) |

名古屋、大垣の日帰り出張/盛りだくさんな一日

今、名古屋・大垣の日帰り出張から帰ってきました。
朝7時過ぎに家を出て、もう何日もたったかのような感覚です。場所の移動と時間の流れというのは、何か関係でもあるのでしょうか。奈良や大阪市内に、まる一日出かけていても、こんな時間の感覚はありません。
それはさておき、新大阪へ出るのも面倒と、最寄り駅の五位堂から近鉄電車で名古屋へ出ました。名古屋の読者の方から、昨日電話があり、ご夫婦で名古屋の書店を案内してくれるとのこと、ありがたく申し出をお受けしました。その方との待ち合わせ場所、ジュンク堂書店名古屋店には10時20分に到着。
UTAブック発足当初から担当していただいている人文のKさんに挨拶をし、早速、UTAブックの棚を見せていただきましたが、棚には整然とUTAブックが並べられていました。

「ジュンク名古屋」02.jpg

ついで、ジュンク堂書店名古屋ロフト店に移動します。名古屋店といい、ロフト店といい、アポなしの訪問でしたが、すんなり担当者の方とお会いできました。ロフト店は、こちらから頼んだのではなく、今ご案内いただいている読者の方のご尽力でUTAブックが置かれるようになりました。UTAブックとしては、はじめてのご挨拶であり、以降も取扱店として本を置いていただくようお願いした次第です。

ところで大垣に向かうべく、名古屋駅近辺へ移動しましたが、ここで読者の方から、「あの建物が名古屋国際センターだよ」と教えてもらいました。ここのライブラリーは外国の方がよく利用され、「英語版の本が完成したら置いてもらえたらいいのに」という話になりました。そこへ、ワタクシめが「行ってみたい!」と言い出したものですから、雨の中、重い荷物を背負って200メートルぐらいを歩くことになったのです。奈良から大型リュックいっぱいにUTAブック全種類をはじめとして、僕が過去につくった本の見本誌の中から学生向きの本を見繕って運んできていたのです。このあと向かう大垣の情報科学芸術大学院大学の学生サロンにおいてもらうためです。その荷物を、実は、書店案内を買ってくれたご主人が背負ってくれていたのです。
「重いから僕が持ちます」と言っても、聞いてくれません。結局、重い荷物を背負わせたまま、国際センターへ立ち寄るのに付き合わせてしまいました。

センター図書室で、UTAブックの名刺を出し、英語版の出版予定があり、完成したら寄贈させてもらえないかと話をしました。話を聞いてくれた女性職員は、「寄贈の本があふれていて場所もないので」と言いながらも、担当者に紹介するからと責任者の方を呼んでくれました。
利用者の邪魔にならないよう、ライブラリーから出て、その方と話しました。「どんな内容か?」からはじまり、著者のこと、本の体裁のことまで質問があり、いちいち答えていくと興味を示されたようで、「ハードカバーは無理だが、言われるようにソフトカバーでつくられるのであれば、ペーパーバックスのコーナーに置いてあげよう」と、自分宛に送るようにと名刺をいただきました。
まだできていない本ですが、本ができたとき、たとえ1冊でも、並べてもらえる場所ができたことが、何ともいえず嬉しいです。
どうという話ではないのですが、国際センターでの体験が、何か妙に懐かしいような不思議な感覚でした。

この後、ご夫妻に名古屋名物の味噌煮込みうどんをご馳走になってしまいましたが、これがうどんのコシといい、味噌出汁の味といい、絶品でした。本ばかりか、ひさしぶりに美味しいうどんを食べたという満足感まで背負って、名古屋から大垣まで移動することになります。

「喜久屋大垣」01.jpg

午後1時15分に大垣駅に着きました。1時半の約束でしたが、すでに大垣の読者の方が改札を出たところで待ってくれていました。読者ばかりか、「ココ」というトイプードルまでが大喜びで迎えてくれました。読者の方の飼い犬の1匹だそうです。お話ではもう1匹チワワがいるそうですが、彼は家でお留守番ということでした。ほかにも懐かしい大垣の方々が、全部で5人も一緒してくれることとなりました。
行き先は、喜久屋書店大垣店。新しく取扱店になっていただく所です。店長は「どうなるかわかりませんが、話はお聞きしましょう」ということで、午後2時のアポイントをとっていたのです。大垣読者の方々は、読者代表として後ろに並ぶだけでも、持ちかける話に真実味が出るだろうと、忙しい中、駆けつけてくれたという次第です。
おかげで話は、トントン拍子に進み、おそらく明日には、「意識の流れ」「続意識の流れ」「その人、田池留吉」「第二の人生」「あなた、このまま死んで…」「お母さん、ごめんなさい」「意識の転回」「時を超えて伝えたいこと」、以上8冊が並んでいるはずです。

この後、大垣の方々とお茶を飲み、歓談した後、三洋堂書店新大垣店へ挨拶に伺いました。
最初は事務的な社交辞令で話が進んでいましたが、いつも「田池先生の本、売れてる?」と声をかけてくれる読者の娘さんの話が出たとき、流れが一変しました。
「あー、あのお母さんですか!」と急にフレンドリーになり、出版社と書店という枠がすっ飛んでしまいましたからビックリです。無垢な営業マン、その威力に脱帽というところです。

「学生センター」02.jpg最後に、大垣の情報科学芸術大学院大学の学生サロンの話が残りました。
種明かしをしますと、いつもお世話になっている大垣の読者Tさん。この方の所有する建物の1階が、情報科学芸術大学院大学の学生サロンとして使われることになったのです。つまりTさんは大家さんというわけ。サロンには、ピアノ、書棚、マッキントッシュのパソコン、応接セットが設置され、学生達が自由に使えるようになっています。Tさん、この書棚にUTAブックを置かせてほしいとお願いしたところ、早い者勝ちだから何でも自由においてくれということになったそうです。
ではというので、UTAブック一そろえと、僕の作った本の中で、学生向きの本をリュックに詰め、Tさんが大家をつとめる学生サロンへとやってきたのです。書棚には、すでに建築関係や美術関係等々、様々な本が並んでいます。それを整理し、UTAブックをまとめて置ける空間を作りだし、本を次々と並べていきます。(写真下)


また一つ、作り出した本の置き場が決まりました。これらの本を、どんな若い人たちが手に取るのか、どんな思いを持つのか、考えただけでワクワクします。「こんな本!」と思っても、何か気になって、また手にとって読んでみた。手にとって読んでは見たが「何を書いているのかワカラン!」と投げ出したものの、またまた気になって読んでみた。そんな若い人の声を聞いたことがあります。
そんなUTAブックとの出会いが、ここでもあるのかもしれません。ないのかもしれません。でも、本を人の目に付くところに並べることで可能性はつくれるわけです。
そんな機会をつくっていただいた大垣、名古屋の読者の方々、ありがとうございました。

「学生センター」.jpg
               (学生サロンに並べられたUTAブック)
| 出張紀行 | 22:11 | comments(1) | trackbacks(0) |

営業は自転車に乗って

昨日、和歌山営業から帰ってみると、営業用に購入した20インチ折り畳み自転車が到着していた(右写真)。
以前、地方の営業をしたくてドッペルギャンガーの26インチ折り畳み自転車を買った。(左下の写真)値段が手頃だったのと、デザインが気に入ったのが選んだ理由だが、もうひとつドッペルギャンガーという名前に惹かれたからでもある。
ドッペルギャンガーといえば、ドイツ語で、普通はあまり良い意味に使われないようだ。超常現象で、もう一人の自分のことをいうらしい。海外旅行に出ているはずが、どこそこで見かけたとか、また家に帰ってみると、そこに既に自分がいて、その自分に出くわしたとか……また、もう一人の自分に出会うと、間もなく死ぬだとか、都市伝説まがいの使われた方をする言葉だ。
それを良い意味に「もう一人の自分=分身」と捉えたのが、ネーミングの謂われのようだ。
このネーミングに惹かれたのも、購入理由の大きな要因だった。
しかし、いざ手許に着いてみると、これが重い。とても輪行など出来たものではない。しかし乗り心地も良く、近場の営業に乗り回していると、みんなから誉められ、「自分もほしい」という人まで出てくる始末。
たしかにデザイン性は抜群で、黄色のボディがなんともオシャレだ。以来、愛用車となり、近場の営業はおろか、映画に行くのも、買い物に出かけるのも、近くの温泉に行くのも、かならずお供についてくる存在となった。
かれこれ2年も乗ったろうか、またぞろ地方営業に自転車を使いたくなり、やはり手頃な、ドッペルギャンガーの20インチ折り畳み自転車を購入してしまったというわけ。
重さは12キロ、これなら下げて出かけられる。そんなわけで、今日は朝から試し乗りと、折り畳みの練習。ほぼ10分程度で折り畳んで輪行袋へ納められる。
町内を試乗してみた後、輪行袋に納めた自転車を肩に下げ、今度は徒歩で一周してみる。町内一周約400メートル、嵩張るが、これなら何とかなりそうだ。
飛行機も、新幹線も、近場の私鉄も、輪行袋に詰めてあればOKということ。
そこへアイパッドとポケットwifiを持てば、地図もOK、ネットもメールもOK。どこに行くのも怖くない。
さて、地方の自転車営業、最初はどこに行こうか、現在、楽しみながら計画中。

(下の写真は、事務所で組み上げたドッペルギャンガー20インチ折り畳み自転車。定価で3万3600円、アマゾンでの購入価格1万7000円也。分身というには、ちと安過ぎるか!?)

| 出張紀行 | 11:25 | comments(0) | trackbacks(0) |

東京営業2日目

今日の一日は八重洲ブックセンターからはじまる。
東京駅前は、この八重洲ブックセンターや丸善など、何度かチャレンジしたが続かなかったエリア。
今度こそはと、八重洲ブックセンターにチャレンジ。やはり日本の中心にあって、日本一の売り場面積と品揃えをうたい文句にスタートした店舗(今ではこれを超える店舗が数多く出ているが……)。

結論から言うと、この八重洲ブックセンターは、UTAブックの取扱店になっていただけることとなった。ただし9月決算ということもあって、10月の新刊「その人、田池留吉」発行時から、取扱店としてスタートしてもらえることとなった。

ところで八重洲という地名の起こりだが、17世紀の初頭にさかのぼる。1600年、オランダのリーフデ号が豊後に漂着した。この航海士が、かの有名なウイリアム・アダムス、三浦按針として家康の顧問ともなる人物。そして船長がオランダ人ヤン・ヨーステン。アダムスは三浦に知行地を与えられたが、ヤン・ヨーステンに与えられた知行地が、この八重洲という地。つまりヤン・ヨーステンが、ヤ・ヨース河岸と訛るようになり、更に八重洲河岸となった。
昔、JR八重洲口、銀の鈴広場には、このヤン・ヨーステンのブロンズ像が置かれていた。しかし、今回行ってみると、このブロンズ像が見つからない。営業が終わった後、探したり、JR職員に訊くのだが、誰も知らないと言う。先を急ぐのだが、このままではどうしてもスッキリしない。八重洲地下街管理事務所に足を運び訊いてみた。
調べてもらうと、何度か移動された後、今は地下街センタースポット近くの「遊亀亭」というラーメン屋の側面にはめ込まれているという。

ヤン・ヨーステン像と遊亀亭

行ってみると、果たして「ヤン・ヨーステン」のブロンズ像と、地名の由来が彫られた案内が、ラーメン屋の横手で遠慮がちに自己主張していた。これで安心して次の目的地、渋谷へ向かうことが出来る。

渋谷には9月1日オープンした「マルゼン・ジュンクブックセンター」がある。東京一の品揃えを誇っているだけにさすがに広い。ジュンク独特の書店棚が、まるで将棋の駒よろしくギッシリと並んでいる様は壮観。オープンしたてということもあって、出版社の訪問も後を絶たず、その合間を縫うように担当者に話を聞いてもらった。ただ人文の棚は、3人で面倒を見ており、まだ誰がどの棚を見るか決まっておらず、とりあえず話を預からせてほしいということになったが、この店舗もUTAブック取扱店になってくれることは、ほぼ間違いないモノとなった。
(下の写真は、渋谷ジュンク堂近くの道玄坂)

さて続いての横浜と、お膝元の橋本が、担当者とも店長とも連絡が取れず、お預けとなってしまった。横浜線のその中間に位置する「町田の久美堂」は、長らく面倒を見ていただいた担当の方が移動となり、あらたに店長代理の方に面倒を見てもらえることとなった次第。UTAブックの取扱店には、もちろんなっていただける。

さて、以上が今日の営業報告といったところ。


ところで、「ツイッターを始めたら」というおすすめを頂いているが、引っ込み思案の僕としては、もう少し様子を見てみたいと、逃げ腰になっている。いずれ始めるかもしれないが、しばらくはご勘弁、ご勘弁。

蛇足
この写真では、道玄坂の由来が読めないと思うので、いかに記しておきます。どうでもいいことですが……
「江戸時代以来、和田義盛の子孫大和田太郎道玄がこの坂に出没して山賊夜盗のように振る舞ったとの伝説がありました。しかし本来の道玄坂の語源は、道玄庵という庵があったことに由来すると考えられます。」
| 出張紀行 | 20:56 | comments(2) | trackbacks(0) |

東京営業一日目

伊丹午前8時発の日航機に乗り9時10分に羽田到着、新宿に10時過ぎに着く。ここで埼玉へ営業に向かう大槻さんと別れ、単身、東京営業を開始する。
まずは高田馬場で読者の方と落ち合い、芳林堂書店さんに向かう。

以下、順不同で、今日の営業成果について報告。

まずは紀伊國屋書店新宿南店/渋谷区千駄ヶ谷5-24-2タカシマヤタイムズスクエア
ここはJR新宿駅新南口を出てすぐのタカシマヤスクエアーズに隣接する7階建ての大店舗で、紀伊國屋新宿本店よりも売り場面積は大きく感じられる。新宿本店とはまた違った活気が感じられ、以前からぜひ常備してほしい書店だったが、なかなか営業する機会がなく今まで来た。一昨日、今日の訪問に先立って電話を入れたときは、担当者の女性から、すぐさま「塩川香世さんの本ですね」と返事が返ってきて大いに気をよくしたものだが、今日お会いすると、少し前に「京都奈良へ行ったところです」と、のっけから親しげに声をかけていただいた。話してみると、大変な歴史マニアのお嬢さんで、こちらも嫌いな方ではなく、いきおい話は仕事を離れ、奈良の古代史の話で盛り上がる。「今度奈良へ来られるときはあんないしましょう」ということで、話は収束に向かった。
肝心の仕事の方は、もちろん、UTAブックの取扱店になってくれるとのことで、各1冊を置いてくれるほか、「新刊は20冊入れましょう」ということで、意気揚々と、店を後にする。

この勢いでとばかりに、紀伊國屋新宿店本店、ジュンク堂新宿店、神田の書泉グランデと、いずれも取り扱い店になることを快諾していただいた。
ただ高田馬場の芳林堂書店さんの店長は、新宿、池袋、高田馬場ということになると、どれも隣接しており、どうだろうか?と若干危惧の色を浮かべておられたが、担当者に任せるということになり、UTAブックになってから発行された4冊を並べ、新刊は少し多めにとって面出しするということで、これもまたUTAブック取扱店になっていただくことにOKが出た。

この後、久しぶりに古巣である神奈川県相模原市の橋本へと向かった。というのは、ビジネスホテル東横インが橋本にも出来、オープン記念の特別料金、懐かしさも手伝い、橋本を3日間の営業拠点に決めたためだ。6時過ぎ、京王新線橋本駅到着、ここで偶然、思わぬ顔と再会。
しかし、この時点で疲れ切っており旧交を温める元気もなく、まずはホテルへと飛び込んだ次第。申し訳ありません。
明日は、僕は渋谷、町田、横浜と回る予定。こんなところで今日はダウンします。

相模原市橋本駅北口 東横インにて
| 出張紀行 | 19:32 | comments(1) | trackbacks(0) |

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