「お母さん、ごめんなさい」、著者の本田さんは奈良の方。ならば、この際、奈良がいまいち弱いので、奈良の書店を回ってみようと、まずは奈良市の中心部を目指すことにした。事務所のある広陵町からは、奈良市内に電車で出るのは乗り換えがややこしい。
万歩計の上の話だが、東海道を踏破したところで、妙な自信もあって愛車の自転車でいざ出陣と決め込んだ。
まず通い慣れた法隆寺への道を走る。途中、河合町役場前で休憩するが、これがまた役場とは思えない立派な庭園を有し、古い民家のような門構えを持った、まるで豪農の屋敷のような一風変わった役場。(写真上は、左が河合町役場の門と庭園。右が近鉄「池部」駅)。調べてみれば、それもその筈、この施設、大正末年に森本千吉氏が構築し、「豆山荘」と名付けた建物だという。 森本千吉氏といえば、明治から昭和初期に活躍した実業家で、大正7年、生駒鋼索鉄道を興し日本初のケーブルカーを運行させ、奈良盆地を横断する大和鉄道の経営に当たり日本鉄道史に名を残す人物。その後、この建物、財界の吉川京松氏が譲り受け、昭和23年頃には旧河合村役場として寄贈されたものだという。
河合町役場の日本庭園でしばしの休憩をとった後、法隆寺インター目指して転がるように走り、インターの交差点を越えると、後は大和川(写真)を渉る。
ここで問題です。右の写真は法隆寺インターの手前の交差点で撮った交差店名を示す標識です。さて、なんと読むのでしょう?(読み方のローマ字表記は消してあります。)
奈良には、他にも読みにくい地名がたくさんあります。次は僕の選んだ奈良難読地名ベストファイブ、一体いくつ読めるか挑戦してみてください。
1.蛇穴(御所市)、2.五百家(御所市)、3.平群(生駒郡)、4.神殿(奈良市)、5.京終(奈良市)
頭の体操が終わったところで、法隆寺から奈良市までは、「奈良自転車道」(写真)という全長22kmの道をひたすら走り続けるのみ。
しばらくは富雄川に沿ってのんびりとサイクリング気分。やがて大和郡山の町中へと入り、市内の急な上り道をフーフーいいながら漕ぎ続け、登り切ったところに小高い丘と周りを取り囲む堀跡が見えてくる。
ここからの眺めは、堀に囲まれたこんもり茂った小山としか見えないが、坂道を下りきると、右手に忽然と聳え立つ城郭が姿を現す。蕉門十哲の一人森川許六が「菜の花の中に城あり郡山」と詠んだ大和郡山城だ。
天正8年、筒井順慶が織田信長より与えられ、砦規模の城を本格的な戦国城郭へと修築した名城といわれる。ここでしばしの休憩をとり、大和郡山城の雄姿をカメラにおさめる。
ここでハプニング発生。自転車道を見失ってしまった。自転車道は、その目印として道がグリーンに塗られている。これを頼りに進んできたわけだが、町中に入るにおよんで、いつしか目印になる緑色の道路が消えている。パトロール中だろうか、婦人警官と若い巡査の二人連れがカメラとメジャーを持ってなにやら作業中。
「奈良自転車道に沿って走ってきたんですが、郡山市内に入って迷ってしまったみたいです。」
二人とも、奈良自転車道の存在を知らなかった。自転車道の問答に焦れったくなったのか、若い巡査が「一体、どこへ行きたいんです?」と聞いてくる。
「奈良市内です。」
「ああ、それならそこの角を曲がると秋篠川へ出るから……」
「秋篠川へ出ますか。じゃあ、あとは分かります。」
奈良自転車道は、秋篠川に沿って走っている。秋篠川に出たらこちらのもの。「気を付けて行ってください」の声を背中に聞きながら、再び奈良自動車道への復帰を目指す。
ところで、この店、何屋さんだと思います。角を曲がるなり、いきなりこんな古風な店に出会ってしまいました。入り口に下げられた箒のような、はたまた巨大な筆のような、たぶん看板がわりのものだと思うんですが……。気になるので自転車を止めて中を覗かせてもらうと、麻糸やロープや畳の糸などを扱うお店でした。
こんな調子ですから、朝10時前に出発したんですが、唐招提寺に着いたのは12時前。ここで休憩して、新装なった「天平の甍」を眺め、1時前には平城宮跡に到着しました。
ここまで来ればイトーヨーカ堂奈良店は目と鼻の先。その4階には目指すクマザワ書店がテナントとして入っています。
しかし、やっと着いたというのに、店長は昼食休憩に出たあと、1時間は帰らないと言います。やむなく平城宮見学と洒落込みます。
左の写真は、朱雀門から、最近完成したばかりの大極殿を眺めたところです。来年開催される「遷都祭」に向けて急ピッチで工事が進められていました。
ところで朱雀門の近くで、次のような歌碑を見かけました。「あをによし 寧楽の都は 咲く華の 薫ふがごとく 今盛りなり」
この歌碑の「薫ふがごとく」という句を見て、ついついお下品な話を思い出しました。
それは「おなら」(屁)の語源についてです。
「おなら」は、「鳴らす」に「お」をつけた女房言葉が語源ですが、こんなことも言われています。宮仕えの女房連中が、「屁」というのはいかにも無粋、なにかかわいい言い方はないものかと無駄話をしていますと、一人の女房が『いにしへの 奈良の都の八重桜 今日九重に匂ひぬるかな』という句をもじって「匂う」と「奈良」をかけ、それに女房言葉の「お」をつけて「おなら」というのはいかがでしょう、と提案した。「それはかわいい。そのうえ気品もある」と、以後、「屁」のことを「おなら」と言うようになったということです。嘘のような本当の話。えーっ、何か嘘くさいって……。「おなら」だけにくさいのは付き物ですが、まじめな話、「いにしへ(屁)」「八重(や屁)」「九重(ここの屁)」「匂ひ」などを含めて「おならに洒落ている」という学説だってあるそうです。
臭い話は程ほどにして、そろそろ店長も帰った頃あい。再度、チャレンジしてみましたが、結果はあまり思わしくありませんでした。店長には面談できました。若い気のよさそうな店長でしたが、「じゃあ、すぐ新刊から置いてみましょう」という風にはならず、「マネージャーと相談して決めたい」と返事は保留となりました。「ローマならぬ、奈良も一日にして成らず」ということでしょうか。根気よく通ってみることにします。
このあと、近鉄奈良駅前の「若草書房」に向かいます。昔、エル時代には扱ってくれていた書店なのですが、立地はいいのですが、なにぶん店舗自体が狭く、同種の本のコーナーもなく、ほとんどが実用書と雑誌のみで、「今は置く場所がない」ということです。
今日の結果は芳しくなかったですが、これに懲りず、王寺、法隆寺、生駒の書店を今月中に回ってみたいと思っています。
※写真の「西穴闇」は「にしなぐら」と読みます。
1.「蛇穴」は「さらぎ」、2.「五百家」は「いうか」、3.「平群」は「へぐり」、4.「神殿」は「こどの」、5.「京終」は「きょうばて」と、それぞれ読むのですが、「五百家」は国道24号線の交差点表示に「五百家 RUKA」と表示されています。どちらが正しいか、今のところ未確認です。